ファッションであれ、ほかの何であれ、「もの」が生まれる時にはそれを生み出す人の生み出す「理由」があり、その人をそこへ駆り立てた時代の「理由」があります。
それら、人の人生や想いや時代のストーリーを想像する時、わくわくが膨らんで止まらなくなります。
特に、私にとってのヒーロー・ヒロイン。

女性として革命的に生き抜き既存のファッションをひっくり返したココ・シャネル。
女性の美しさを礼賛して愛し抜いた、ムッシュ・ディオール。
ファッションを現代という時代へと転換させたムッシュ・サンローラン。
そのサンローランと同期でいながら対照的な表現をし続けたカール・ラガーフェルド。など、など、、、

彼らの生きざまへの憧れと深い尊敬が私のファッションへの情熱を支えています。
私はファッションの専門学校での授業で、この、私のヒーロー・ヒロインのストーリーを学生に語ることがあります。

そんな時、つい熱が入りすぎてしまうからなのか、ファッションを志す若い学生の魂にもそのストーリーが響くからなのか、教室はいつになく水を打ったようにシーンと静まり返り、学生の眼が、奥の方できらきらとしたまま見開かれ、全身で聞いているのを感じます。

ココ・シャネルが生まれた時代

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フランス革命以降、なかなか安定しなかった政治情勢がようやく第三共和制により安定してから第一次世界大戦までの間、短いながらもフランスの産業が円熟し、近代の文化が花開いたベルエポックの時代。
その時代に生まれたココ・シャネル。今から136年も前の時代です。

シャネル誕生からさかのぼること、その100年程前にナポレオン1世が敷いた、ナポレオン法典には次の1節があります。

「女は、果樹が園芸家の所有物であるように、男の所有物だ」

えー??女性はりんごやイチゴやトマトと同じ、所有物だって言ってるー?
今だったら、ぜ~~~ったいに、世論が黙っているはずもない人権無視の法律ですね。

この様な価値観の根強かったフランスの女性参政権が第二次世界大戦後まで実現しなかったのはさもありなん、という感じ。ちなみに日本の女性参政権が実現したのも同じ年でした。
先進諸国の中では一番遅い実現でした。

中世ヨーロッパの王侯貴族の女性達の、きらびやかで豪華絢爛な装いの文化が円熟したのも、その女性の所有主であるところの男性達が競って自分の力を示すためであり、きっとそこには奥方からの

「〇〇伯爵夫人はこんなドレスを着てらしたから、わたくしはこういうドレスを作りたいわぁ。わたくしが〇〇伯爵夫人より見劣りしても、あなた、よろしいの?」

というリクエストに応えざるを得ずに財布を開いたであろう男性諸氏、という見方をすれば、
実際にはどちらが所有し、どちらが所有されていたのかは、よくわからなくなるのですが。

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https://note.com/hiromiosada/n/n88b7c6ad4026